腹話術伝道の学び

NO.23「.メッセージ台本の作り方⑥」

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」

ヨハネ1:1

ゴスペル腹話術とは、「ことば」であり「神」であるお方、イエス・キリストを「ことば」(会話の台詞)で伝えるものです。相手が人形ですから、さぞかしわかりやすい台詞になるかと思いきや、案外これが簡単ではありません。特に信仰歴が長い人ほど難しくなる傾向があります。なぜなら、いつの間にか未信者の友達が少なくなり、クリスチャンとばかり交わるようになると、すっかり“キリスト教専門用語”に慣れてしまって、腹話術の台本にも、無意識にそれを使ってしまうからです。

    

私も、かつてVIPインターナショナルという団体の方から奉仕の依頼を受けた時、「神、罪、救いとか、キリスト教用語はなるべく使わないでお願いします」と言われ、大変面食らった覚えがあります。あらためて自分の台本を読み直してみると、やはりあちこちに「神、罪、救い」が使われていたからです。

あわてていくつかの単語を別のことばに置き換えて演じましたが、その時以来、私は、キリスト教専門用語を使わないで、平易なことばで福音を伝えるためには、どのような言い回しが良いのだろうかと考えるようになりました。

とにかく、私たちは、キリストの福音を未信者に伝えたいと願っているはずです。それなら未信者にわかることばと内容でなければなりません。今日は、皆さんと共に、これらの専門用語をどう扱うべきか、考えてみましょう。

「神」とは誰か?

最近、あるグループの方々が、『創造主訳聖書』というのを出版されたそうです。その目的意識は、日本人に「神様」と言っても、聖書でいう神様ではなく、八百万の神や他の宗教の神様を思い描いてしまうので「天地創造の主」と置き換えた方が正しく伝わる、ということのようです。確かに、腹話術で公立の小学校にボランティアに行かれていたIさんによれば、「公立でも、“イエス様”とは言えないけれど、“神様”なら大丈夫ですよ」ということでした。ですから、私たちも、無頓着に「神様」と言わず、「天と地とすべてのものをお造りになった聖書の神様」というふうに、説明を加える必要があるのではないでしょうか。

「罪」とは何か?

「罪」ということばも、とても日常的で、日本人がよく使う表現です。しかし、もちろんその意味するところは、聖書とはかけ離れています。大概は、法律違反や犯罪のことを指していることでしょう。聖書の「罪」とは、もともと「的外れ」という意味がありますが、これもそれだけではピンときません。かといって、対象が子どもたちでも「汚い心、黒い心」とか「悪いことや悪いことば」というふうに置き換えるのは問題です。そこで、「罪」ということばを使わず、具体的な事例をあげて、「こんな時、こう思ってしまうことがあるでしょう」「こうしたくなるでしょう」「それはね、私たちには、生まれたときから、こんな心があるからですよ」等々、あくまでも聴衆が実際に体験しているような事柄をあげて説明すると、わかりやすいのではないかと思われます。

救い」とは何か?

日本人が「救われた」と言うのはどんな時でしょうか。大概は、試練、困難、危険から助け出されたような時だと思います。もちろん、聖書のいうような「罪からの救い」「さばきからの救い」ではありません。「あなたは救われていますか?」という質問は、未信者(求道中の方でさえ)が一番不快に感じることばのようです。まだ、神の前における罪というものを理解し、自覚していない時には、全く受け取れない表現なのです。

そこで、聖書には「救い」を意味することばは、他にもたくさんあることを学ぶ必要があります。「弱くても受け入れられる」「失敗を赦される」「束縛から解放される」「子どもとして迎え入れられる」「絶対に見捨てられない」等々。これらの表現を話の内容と対象に合わせて用いていったらどうでしょうか。

いずれにしろ、短い時間で福音のすべてを語ろうとしないで、1回にワンポイントでメッセージをまとめることが賢明だと思います。

2013年7月26日

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