腹話術伝道の学び

No.4「召された領域」

「神の賜物と召命とは変わることがありません。」

ローマ11:29

みなさんにとって、腹話術は単なる趣味でしょうか?もし、そうであるなら、それはそれで結 構だと思います。クリスチャンだからといって、趣味で人形を楽しむことが罪となるわけではあ りませんし、すべての人が、腹話術を用いて証し、伝道しなければならないわけではありませ ん。とはいえ、みなさんが人生のすべての領域でキリストを主とする歩みをしたいと願っておら れるなら、きっと「腹話術は主からの賜物だ」と自覚できると思います。それでも、なお私は 「だから直接聖書を語るために用いるべきだ」ということを言いたいわけではありません。クリ スチャンは、基本的に「地の塩、世の光」です。教会の中で用いられるだけではなく、もっとこ の世に出て行ってキリストの愛を証しすべきです。そのために、私たちにはそれぞれの“領域”が 与えられているのです。

自分の重荷はどこにあるかを自覚してください

みなさんは、腹話術を習ってから(あるいは習う前から)「これを教会学校の子どもたちに見 せたいなあ」とか、「町の児童館に行ってやってみたいなあ」とか「老人ホームの方々を訪問し たいなあ」とか、何かビジョンを持たれましたか?もしそれが「クリスチャンなのだから、教会 で使わなければいけない」という律法的なものでない限り、みなさんの最初に思い描いた世界 は、上から与えられた “領域に近い”ものだと思います。ここで、あえて“近い”と書いたのは、神 様のみこころというものは、最初から明らかな場合と、だんだん明らかになる場合とがあるから です。とにかく、神さまは、みなさんが腹話術に出会う前から、みなさんの人生を決めておられる し、腹話術をどの領域で用いようかとご計画をもっておられるのです。そして、その道は、みな それぞれに違うものなのです。人形だからといって、見せる対象は子どもでなければならないと 考えないでください。腹話術は全年齢層に有効です。要は、みなさんがどのような年齢層に重荷 を感じるかということが大切なのです。

対象について研究してください

今まで、教会学校の教師として奉仕したことのない人が、腹話術を習ったからといって、突然 子どもの前に立ったらどうなるでしょう。子どもたちは、最初のうちは人形めずらしさに注目す るでしょうが、そのうち、内容についていけなくなって、おもしろくなくなり、騒がしくなるこ とでしょう。率直に言って、日頃から子どもに関心の無い人は、子ども向けの腹話術は無理だと 思います。(その人は他の領域に向いているのでしょう。)けれども、それは、教会学校の教師 をしてきたから、即、腹話術で子ども向けに話ができると保証しているわけでもありません。や はり、腹話術で語るには、それなりの技術と内容が伴わなければなりません。すなわち、相手が 子どもであるなら、現代の子どもたちを取り巻く環境や問題、彼らの興味や心の世界を研究しな ければ、目の前にいる子どもたちとコミュニケーションがとれないのです。それは若者、婦人、 年配の方々などに対しても同じことです。ですから、重荷を感じる方々について、日頃からよく 交わり、研究していることが大切なのです。

話題について、クリスチャンとしての価値観をもってください

みなさんは、教会ではなく、未信者の集会で演技するとき「ここはセキュラーだから、神さまの ことはいっさい触れないように、私がクリスチャンであることがわからないようにやろう」と考 えますか?もし、そうであるなら、みなさんがこの世に送り出される意味はありません。確か に、教会では、「神、罪、救い」ということばを堂々と語れますが、この世ではそうはいきませ ん。公立の小学校であれば、「宗教色は出さないでください」と言われるでしょう。けれでも、 みなさんが骨の髄まで神の子であるなら、どんな昔話でも童話でも、「キリストにあって」味わ えるはずです。私たちの信じる神は、天地創造の神、人間をお造りになった神なのです。そして ご自身が造られた人間を愛してやまない神なのです。その視点から様々な文学作品を味わうと き、当然神のこころで読むことができ、キリスト教用語を使わなくても、解釈に価値観が反映さ れるものです。それは、その他の日常的な話題を台本にしたときでも同じことです。どうか、み なさんの演技がキリストの香りを放つものでありますように。

2011年6月10日     

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