腹話術伝道の学び

初心に帰ろう

「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」

ピリピ人への手紙2章13節

今回は、約2年ぶりに「霊想」に戻ります。この間、「聖書台本を作成するには、まずは聖書そのものからメッセージをいただかなければならない」という観点から、「放蕩息子のたとえ話」の聖書研究とメッセージ演習をしてきました。これから、いよいよ聖書台本作成が始まりますが ここで、私たちの心を「台本を書く」こと以前の状態に戻したいと思います。つまり、私たちが、そもそもなぜ腹話術を習いたいと思ったか―すなわち「初心」に帰る必要を感じるからです。

みなさんの腹話術歴はそれぞれで、何十年と長い人もいれば、比較的最近の方もおられるでしょう。それでも、時には、「そもそも、なぜこれを始めたのか」という出発点に立ち帰るということは、重要なことだと思います。それは、クリスチャンであれば、何事も、「神さまとの関係においてどうであるか」という視点が必要だからです。その点、腹話術は想像以上にむずかしい芸術的な賜物ですので、あれこれ取り組んでいるうちに、いつの間にか、技術的なことばかりに気をとられてしまいがちです。

そこで、自分がなぜこれを始めたのか、これまでどんな恵みを受けたのか、これからどう進んでいったらよいのか、などを振り返るためにも今回は上記のみことばを黙想してみましょう。

腹話術を始めたことは神のみこころでしょうか?

みなさんが腹話術を始めた時、神さまはどんな語り掛けをくださいましたか。あるいは、内なる聖霊のどんな促しがあったのでしょうか。少なくとも、今までやめないでこられたということは、神さまの助けと導きがあったに違いありませんが、もう一度原点に戻って、自分がどんな状況に置かれていた時、どんな心境でいた時、腹話術との出会いが道開かれたのかを思いめぐらせてみましょう。すると、その時点ではわからなかった神さまの愛や慈しみをあらためて感じられることでしょう。それに気が付いたら、心から主を賛美し、感謝をささげましょう。

最初に立てた志とはどんなものでしたか?

腹話術はひとりで自分のために演じて楽しむものではなく、必ず人前で演じて、相手に何かを伝えるものです。みなさんは、最初、自分が誰のために演じたいと思ったかを覚えていますか。そして、それは何のためでしたか。さらに、それを実現するためには、どんなことを予想してどんな覚悟をもっていましたか。その最初の志は、主から来たものでしょうか。それとも、単なる自分自身の夢や願いから来たのでしょうか。主から与えられた純粋な動機を確認し、もし人間的な側面があるなら、悔い改めましょう。

今までどんな事を行ってきましたか?

神さまから与えられた志を、自分はどのように貫いて行動してきたのかと、思いめぐらせてみてください。どんなプロセスを経て今がありますか。腹話術の学びの中での出来事、実際の奉仕活動、その中での出来事、いろいろな人たちとの出会い、教えられたこと、反省したこと、傷ついたこと、鍛えられたこと等々、喜びも感謝も、苦しみも悲しみも、すべて主の前に差し出して、主に正しく評価していただきましょう。神さまのなさることには、すべて意味・目的があるのです。

心に響くことばを黙想する

デボーションテキストにそって、数節を読むか、一日に一章ずつ読むかは自由ですが、すぐに解説に飛びつかないで、自分の心に響く箇所があったら、しばらく黙想しましょう。なぜ、これが心に留まったのか、神はどのような方だと気づいたか、神は私に何を語りかけておられるのか、私は具体的にどう応答していったらよいか・・・など、あくまでも自分自身に適用していきましょう。


以下、私事ですが、43年前に始めた腹話術の本当の動機は「自分探し」あるいは「自己表現への渇望」であり、「子どもたちに聖書のお話をするための視聴覚教材」というのは、後付けの理由でした。つまり、どちらにしても、「神さまが与えてくださった賜物であり、みことばを伝えるための助け」という位置づけではなかったのです。そんな出発でしたから、以後長い年月葛藤をかかえることになるのは当然なことだったと思います。それでも、主は私の罪や弱さを赦し、受け入れ、軌道修正しながら、すべての経験を益として用いてくださいました。しかも「わたしの小羊を養いなさい」という召しに沿って・・・主はまことに真実なお方です。ハレルヤ!

2021年1月22日

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