腹話術伝道の学び

No.6「愛のまなざし」

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

イザヤ43:4

最近、NHKの大河ドラマ「江」を見ていて、しばしば感動することがあります。人間の心の動 きが丁寧に、真実に描かれている場面が多いからです。(見た後、聖霊に導かれて祈らされたこ とが2度もありました。)「このドラマの脚本家はひょっとしてクリスチャンではなかろうか」 と思うほどですが、もしそうでなくても、人間とはまことに「神のかたち」に造られている(創 世記1:27)ということを実感させられます。

腹話術で主の証しをしよう、伝道しようと願う私たちは、ややもすると、伝える相手を“未信 者”として上から目線で見てしまうことがあるのではないでしょうか。確かに、イエス様を信じ ていなければ、誰でもまだ救われていないのですが、そもそも私たち自身も、ただ恵みにより信 仰によって他の人より少しだけ先に救いにあずかっただけなのです。

腹話術は見ていただいてこそ意味のあるものですから、今日は、観客に対する私たちの姿勢に ついて心を探っていただきましょう。

すべての人は「神のかたち」に造られています

すべての人は、アダムとエバの子孫として、天地創造の神様に造られています。それゆえに、 赤ちゃんからお年寄りまで、すべての人、ひとりひとりが尊い存在なのです。そして、ひとりひ とり、からだと心と魂をもっています。アダムの罪によって、イエスを信じない限り霊的には死 んでいる状態ではありますが、神様が与えた能力も良心も失われてはいません。未信者だからと いって、クリスチャンよりすべてが劣っているわけではないのです。いえ、むしろクリスチャン より賢かったり、人格的に立派な人も多いのです。つまり、存在価値としては、未信者とクリス チャンとの間に何の違いもなく、全く同等です。

イエス様は、すべての人を愛し、いのちをお捨てになられました

私たちは、「この人が救われるのは、むずかしいなあ」と感じる人に出会うことがあります が、そんな時は、「私がこの人を愛する以上に、イエス様はこの人を愛し、この人のためにも十 字架にかかられた」という事実を思い出してください。そして、自分自身も、救いにあずかるま でに、どれほど時間がかかり、どれほど祈られ、様々な形で神様に触れてきたかを思い起こして ください。誰でも、たった一度聖書の話を聞いただけで信じたのではないはずです。  けれども、だからこそ、たった一度の腹話術の証し、メッセージが大切なのです。私たちは、 同じ観客の前で、定期的に何度も奉仕することは少ないかもしれませんが、たった一回きりの出 会いであっても、そこで十分に祈り準備した台本で心から証しするなら、その場の人々は、見た こと、聞いたことを決して忘れないことでしょう。そして、私たちの知らないところで、時満ち て、信仰に導かれるかもしれないのです。

仕える姿勢で、臨みましょう

腹話術を習うには、お金も時間もかかります。みなさんはそのことをどうとらえていますか? 「こんなにお金がかかったのだから、たくさん演じて、謝礼をいただいて元をとらなくちゃ」と 考えますか?あるいは、「これだけ練習しているのだから、名が知られて用いられるように売り 込んでいこう」と思うことがありますか?残念ながら、そのような思いは、人間的な計算であ り、肉からきているものです。そもそも、私たちが救われたのも恵みにより、腹話術という賜物 を与えられたのも恵みにより、レッスンを受けるための費用が備えられたのも恵みにより、お声 がかかって奉仕させていただけるのも恵みによるのではないでしょうか。

したがって、奉仕がボランティアであろうと、謝礼をいただく場合であろうと、私たちの奉仕 の価値もまた、神様の目から見れば「高価で尊い」のです。 私たちはかけがえの無い存在として、イエス様にあって罪赦され、イエス様に あって賜物を与えられ、イエス様の愛を伝える者として、この世に遣わされているのです。そし て、一番伝えたい愛とは、イエス様の十字架の愛、自己犠牲の愛です。私たちも「自分を捨てる 愛」を主からいただいて、人々に仕えていきましょう。

2011年10月14日     

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