腹話術伝道の学び

No.7「みことばの学び」

「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに解き明かす、恥じるこ とのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」

Ⅱテモテ2: 15

私は過去20年ほど腹話術を指導してきましたが、対象の多くはクリスチャンでした。その受 講生の皆さんに、腹話術を習う動機を聞くと、ほとんどの方がこう答えたものです。「神様のご 用に役立てたい」「伝道したい」「聖書のみことばを伝えたい」・・・等々。これは講習会の名 前が「ゴスペル腹話術セミナー」だったからでしょうか。何はともあれ、その決意は立派だと思 います。ところが、その方々が初心者講習を終えて、いざ実演に取り掛かったとき、(確かに、 教会学校や教会の集会でご奉仕することが多いのですが)、果たして、その内容は最初のビジョ ンとはかけ離れたものであることが多いのです。

これは私自身も含めてのことですが、此の頃その原因を思い巡らすときに、一番に心に浮かぶ ことは「みことばの学びが足らない」ということです。これは、単に机に向かって聖書を読むと いう意味だけではなく、「みことばを体験している」ことであり、別の表現を使えば、「証しを もっている」という意味です。それが足らないために、多くの場合、語っている内容が、ただ の“聖書物語”であったり、つまらない“お説教”や“キリスト教教理の説明”に陥ってしまうので す。では、せっかく学んだ腹話術をもって、子どもにも大人にも、相手の心に届くみことばを伝 えるには、どうしたらよいのでしょうか。

台本を書く前に、扱うみことばの箇所を良く学びましょう

聖書を正しく解釈するためには、文脈が大切です。たった1節の箇所でも、聖書全体、書簡全 体、章全体、前後関係によって正しい意味を引き出していきます。必要ならば、解説書や注解書 を用いたり、教会の指導者に聞いてみましょう。そうすると、まず自分自身が聖書の真理に堅く 立つことができるのです。

語る内容に確信と喜びがあることは、人前に立つときに絶対に必要です。

みことばの適用をします

かつて、自分はその箇所によって、どんな霊的取り扱いを受けたか、神は今の私に何を語られ ているかを瞑想してください。この時点では、自分自身のことだけを考えます。そして、示され たことをどのように実行すべきか、聖霊の導きに従ってください。

このような“みことば体験”こそ、相手の魂に届く霊的パワーの源なのです。そうでなければ、 たとえ人形という一見魅力的なツールを用いても、あなたの語る聖書の話は、貧弱で退屈なもの になってしまうでしょう。

伝える相手の世界を研究します

どんな話であれ、話し手は聞き手の立場を無視しては、内容は伝わりません。 相手が子どもであれば、その年齢の子どもたちが、日常的に経験することは何かを考えます。自 分に子どもがいなければ、教会内や親族、友人の子どもたちの様子から学びましょう。それは、 相手が青年でも、婦人や老年の方々でも同じことです。このみことばは彼らにとってどんな意味 を持つのか…それを熟慮し、祈り、どのような話を組み立てたらよいのかを神様に導いてい ただきましょう。

実際に台本を書きます

台本とは、自分のために書くものですから、あなたが“台本は頭の中で組み立てる”タイプの方 であれば、それでも結構です。ただ、いかなる形にしろ、“自分はこの話で何を言いたいのか”と いうことだけは明確にしてください。

それさえはっきりしていれば、構成は自由です。すべて「導入、本論、結論」の三段論法になら なくてもよいのです。あなたらしい、最も効果的な演出で、話をまとめてください。

終わりに

    

「聖書の話をするためには、こんなに面倒なステップを通らなくてはならないの か・・・それなら、私はもっと楽にできそうな、童話とか昔話とか、お笑いの話にしようか」と 考えた人がいるでしょうか?もしいたら、それは大変な見当違いです。この世でも朗読家、語り 部、落語家、漫才師、その他、どのような芸人さんでも、準備も稽古もなく人を楽しませている 人は一人もいません。冒頭のみことばは、いかなる道の人にとっても真理なのです。

2011年11月11日

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